『 立ち話もなんなので 』

少しだけ占いと労働相談ができる社労士のたまご。言葉と思考の森によく隠れてつぶやいています。

別れても「好き」という意味

第一条

このブログは、読者のスキマ時間により生じた暇、手持ち無沙汰又は怠惰による喪失感等に対して、当該読者の余暇の教養と退屈を和らげるためにブログという媒体を通してユーモアを提供することにより、大胆かつ繊細に読者の笑いと精神の安定の向上に寄与することを目的とする。

 

第一条二項

書き手は、読者の笑いと精神の安定に寄与するため、常に自分の精神をごきげんに保つよう努めなければならない。

 

 

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こんばんは。

入國 七帆子でございます。

 

わたしには妹がひとりいる。

てんびん座の妹で、人間関係に関しては、わたしより他人への冷静な洞察力があり、自分の善悪をきちんと把握し、世の中に判断されない自分だけの判断基準を持っている。

年下であっても、わたしにはないその能力を持つ妹をわたしは密かに師匠と称している。

 

そのてんびん座の妹が言うことに、わたしは不思議でならなかったことがある。

 

「今も好きであることに変わりはない」というのである。

 

わたしは長らく、その意味を理解することができなかった。

嫌いになることは容易にあったけれど、好きであり続けることは、なかったものだから。

 

 

けれど、今は妹の言葉を痛く実感している。

好きだったけれど、結果的に別れてしまった元彼は今でも好きだし尊敬している。彼の見聞の幅広さは勉強になるし、彼の知識の泉に触れると心の奥がきゅんっとなるのは隠すことはできない。

 

それから後に好きになった男性も、例に漏れず。

政治的思想はまったくの真逆であれ、彼の幅広い知識と経験をまえにしては、嫌うことはできない。

 

一夜限りで終わった若き哲学者のことも、嫌いになれたら一層楽だろうと思うが、わたしは憎むことができなった。日常を丁寧に描く彼を、美しいと思ってしまったからだ。

 

 

彼らのことは好きだけれど、どうこうなりたいとも、彼らとのあいだに特別な関係が欲しいとは思わない。

 

けれど、別れたあとであっても好き、という意味をわたしはここ数年で実感した、という小噺。

 

 

ごきげんよう

 

 

入國 七帆子