『 立ち話もなんなので 』

少しだけ占いと労働相談ができる社労士のたまご。言葉と思考の森によく隠れてつぶやいています。

忘却の彼方に近いレベルの話だが覚えていること

第一条


このブログは、読者のスキマ時間により生じた暇、手持ち無沙汰又は怠惰による喪失感等に対して、当該読者の余暇の教養と退屈を和らげるためにブログという媒体を通してユーモアを提供することにより、大胆かつ繊細に読者の笑いと精神の安定の向上に寄与することを目的とする。

 

第一条二項


書き手は、読者の笑いと精神の安定に寄与するため、常に自分の精神をごきげんに保つよう努めなければならない。

 

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こんばんは。

入國 七帆子でございます。

 

リアルが充実していて、もうすぐ死ぬんじゃないかと一抹の不安を抱えながら生活しています。毎日更新が目標だが、目標は未定(え)。

 

今週のお題「部活」

 

 

元々ピアノをしていたわたしは、中学生になったら必ず吹奏楽部に入ると決めていた。やってみたい楽器はフルートだったのだけれども、単に一年ほど習っていたからという理由でほかの楽器でもあまり問題はなかった。

 

わたしを含む新入部員は、まず希望する楽器を第5希望まで書かされた。わたしは当時、楽器の名前に疎く、第5希望欄にクラリネットと書いたつもりが、オーボエとなっていた。

 

希望を書き、適性検査へと移行する。

 

数分間、リズムにあわせてバチを叩いたり、全ての楽器を吹いてまわった。わたしはリズム感がまるでないのと、金管楽器はほぼ全滅だった。金管楽器の適性がある人は唇が薄めの人らしいのだが、わたしは下唇がやや分厚いので適性からも外れていたのだと思う。

 

顧問の先生からは、「希望にはないのだけれど、入國はクラリネット」と言い渡された。そうしてわたしは、クラリネットを担当することになった。

 

1年目がとても楽しかった。

ピアノでの音楽を楽しんでいたが、基本的に楽譜を通しての作曲家とわたしの会話であって、まわりからみたらソロ活動でしかない。

けれど吹奏楽部は、多くの人がそれぞれのパートを全うし、ひとつの音楽を作り上げていく。どの音がかけても完成しない。

練習は厳しかった。

先生も先輩も厳しかった。

それでも、あの一年間の記憶は、何物にも代えられない、わたしの柱を構成する重要な一部のような思い出。

 

何度も何度も一緒に練習している仲間がいると、アイコンタクトやなんとなく、息遣いで音楽ができあがっていく。

全体練習も楽しかったが、気の置けない仲間と少人数であわせていくのも楽しかった。息が合う、という言葉を体感した思い出だったと思う。

 

2年目の大会では、わたしはバスクラリネットの担当となった。

そこで、中低音の魅力にどハマりするのだがぼちぼちお開きにしたいと思います。

 

わたしの恋人も、中学生ではないが吹奏楽の経験があったと言っていた。彼も同じく木管楽器で、テナーサックスを吹いていたとのこと。音域は、バスクラリネットに近いので、ちょっとした共通点にふわっとしたことを覚えている。

 

叶う分からないが、テナーサックスとバスクラリネットでセッションできたらと思うのが小さな夢なのだけれども、テナーサックスもバスクラリネットも値段は小悪魔を通り越して悪魔なくらいする。

なので、当面は彼がアルトサックス、わたしはピアノで何かできたらと思っている。

 

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。

 

ごきげんよう

 

 

入國 七帆子