『 立ち話もなんなので 』

少しだけ占いと労働相談ができる社労士のたまご。言葉と思考の森によく隠れてつぶやいています。

わんすとっぷ?

第一条


このブログは、読者のスキマ時間により生じた暇、手持ち無沙汰又は怠惰による喪失感等に対して、当該読者の余暇の教養と退屈を和らげるためにブログという媒体を通してユーモアを提供することにより、大胆かつ繊細に読者の笑いと精神の安定の向上に寄与することを目的とする。

 

第一条二項

 

書き手は、読者の笑いと精神の安定に寄与するため、常に自分の精神をごきげんに保つよう努めなければならない。

 

#####

 

こんばんは。

入國七帆子でございます。

 

 

ご無沙汰しております、と前回の記事でも認めた気がする。スマホの持っているいつでもどこでも気軽に情報収集が出来て、気になったときにぽちっと行動できるフットワークの軽さをサポートしてくれる力を、とても重宝している。けれども、学生時代からパソコンで文字を打つ習慣がついているわたしにとっては、どうもブログを書く、ラインで文字を打つ、という行為をスマホですることには未だに慣れない。きっと、一生慣れる気がしない。文字表現のスタイルは、すっかりパソコンの前でするものだとわたしの五感は理屈抜きで覚えている。未だにスマホの文字入力は、ガラケーで連打するように打っているわたしにとっては、思いと入力のスピードの伝達が、スマホではイマイチ追いついていない気がする。

 

というわけで、どうしてもスマホだと記事の更新が億劫になってしまうのです。

 

さて、本日で2019年が幕を閉じて、明日から2020年の幕開け。

カレンダー通りの休みなので、今年の(来年の?)の年末年始は九連休。

年末年始の買い出しをしたり、○○納め祭り(ボルダリング、ラーメン、うどんetc...)に興じていた連休初めの数日間だった。

 

昨日は、今年できなかったことややりたかったことを来年や近未来に託すように、目標ややりたいことを書き出している。

 

そして、ずっと興味があったことに着手した日。

 

それは、ふるさと納税

 

気にはなっていたけれども、なんとなくやり方が分からず、でも、とても調べてやってみたい!と思うほど心を動かされる衝動にまで突き動かすほどの原動力もなく、数年間延びて延びて、昨日に至った。

わたしの行動を鈍らせていたのは、確定申告をしなければならないという点。

わたしは、書類に関わる仕事に就いており、また、社労士の仕事が多様化しているとしても書類作成が基本であるにも関わらず、手続き業はとても苦手である。これってそんなにこだわるところ?いいやん別に・・・と、大雑把な性格にとっては融通の効かないこの存在が疎ましくてたまらない。

 

プライベートまで書類に悩みたくない、という本音があった。

けれども、ずっとやってみたいという気持ちを積み上げてきたふるさと納税楽天ポイントも貯まるし、今年こそはと、重い腰をついに上げた昨日。

 

結論からいうと、わたしは確定申告をしなくても良いそう。

ワンストップ特例制度の対象であれば、申請書を寄付した自治体に送れば、確定申告をしなくても寄付金控除が受けられる制度。つまり、税務署に行かなくても良い。

 

確定申告という壁が目の前から消え去り、わたしの重かった腰に、一気に羽が生えた気がした。

 

ワンストップ特例制度を利用できる人は

 

・確定申告をする必要のない給与所得者等

・一年間(1/1~12/31)の寄付先が5自治体以内

・申し込むたびに自治体へ申請書を郵送していること

 

この3つの条件を満たすことが必要なのだけれども、わたしは4自治体へ寄付しているし、不動産も副業もしていない給与所得者なので2つの条件はクリアしている。

 

あとは、申し込むたびに自治体へ申請書を郵送することのみ。

 

申請義務があるものに期限あり。

 

寄付した翌年の1/10必着。

 

https://www.furusato-tax.jp/img/onestop/onestop_myNumber_form.pdf

 

申請書は、上記のアドレスからダウンロードをすることができる。

 

また、必要書類として

マイナンバーカードを持っている人は、マイナンバーの表裏どちらもコピーを取り、添付。

通知カードのみの場合は、通知カードのコピーの他、本人確認書類として、運転免許証やパスポートなどが必要となる。

何も持ってないよ!という方は、個人番号が記載された住民票の写しと本人確認書類が必要となる。

 

なかなかに大変・・・だけれど、やったこともないけれど確定申告という何やら中ボス的な書類と向き合うよりはずっと小物であるに違いない。

 

 

つづく。

 

 

ブログ更新がどん亀級なのですが、お越しくださりありがとうございました。良いお年をお迎えください。

 

ごきげんよう

 

入國七帆子

 

 

 

 

 

副菜

第一条


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第一条二項

 

書き手は、読者の笑いと精神の安定に寄与するため、常に自分の精神をごきげんに保つよう努めなければならない。

 

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こんばんは。

入國 七帆子でございます。

ご無沙汰しております。

 

令和はじめての社会保険労務士試験が終わりました。わたしの知人多くが合格しました。多くといっても、二桁とはならないけれど、わたしは元々知人の数が少ないので。

 

自分の合格は安堵しかなかったけれど、人の合格は嬉しい。特に、一緒に勉強してきた人なら、なおさら。

 

わたしも、負けずに。

来年は登録して研修会に参加しようと思います。

 

 

さて、最近リア充日記と化していますが。

 

彼は、副菜に救われたと以前わたしに話していた。彼はわたしと同じく、食を楽しむ人間である。そんな彼だけれど、味が分からなくなった時期があったらしい。ストレス性なのかどうかは、今は分かるすべはない。

 

味がわからなくなった彼を救ったのは、食堂のひじきの煮物だった。ひじきの煮物を口にしたとたん、おいしさがひろがったという。

 

 

わたしにとってひじきの煮物は、玉子焼きの次の次くらいにお弁当には書かせないスタメン。そのため、わりかし常備していることが多い。

 

ある日、我が家に彼が遊びにきてわたしはひじきの煮物をだした。

わたしのひじきの煮物は、電子レンジでもそこそこおいしくできるとても簡素なものである。

 

彼は、なにやら感動したらしい。

 

 

最近は、副菜がちゃちゃっとできる女性が彼にとってはポイントらしい。

 

 

わかるようでわからないようで、わかるようで……。

 

 

 

ごきげんよう

 

 

入國 七帆子

もうすぐ、あの日。

第一条


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第一条二項


書き手は、読者の笑いと精神の安定に寄与するため、常に自分の精神をごきげんに保つよう努めなければならない。

 

 

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こんばんは。

入國 七帆子でございます。

 

もうすぐ、令和最初の社労士試験の合格発表が行われる。

 

わたしは、平成最後の社労士試験に合格した。基準点割れはなく、各予備校の合格点も超えていたため、マークミスがなければ合格だろうと思って、合格発表までは、婚活したり行きたいところにいったりととても自由に過ごしていたと思う。時折、科目ごと間違えてマークしていないか焦ったりもしたが。

合格発表の日は、Webで官報を見た。縦に読んでいたため、わたしの番号がなくて呆然とした数分間を味わったあと、わたしの番号を確認した。嬉しいよりも、やっとこの試験から逃れられる安堵しかなかった。嬉しいという感情は、他の一緒に頑張ってきた受験生が合格したときにしか、感じなかったように思う。自分のことに関しては、安堵の感情以外なかったように思う。

 

また、わたしは合格発表までのこの宙ぶらりんの期間がいちばん楽しかったように思う。まだ社労士としてどう生きていこうかまったくわからなくて、目星すらなかった。

合格発表がきたら、暫定ではなく決定事項となる。合格が決まれば、各々の道へまた進み始めなければいけない。合格はゴールではなく、通過点でしかない。なのにわたしは、未だにあまり前進できていない。

だから、合格発表は安堵もあったが、新たなスタートの幕開けでもあった。

 

それから一年。

 

 

わたしは、進めたのだろうか。

 

 

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。

 

ごきげんよう

 

 

 

入國 七帆子

 

 

そうじゃないんだよ

第一条


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第一条二項


書き手は、読者の笑いと精神の安定に寄与するため、常に自分の精神をごきげんに保つよう努めなければならない。

 

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こんばんは。

入國 七帆子でございます。

 

皆さんは、呼ばれてみたい肩書きはありますか?

 

わたしにもし、夫がいたとしたら。

 

夫が、夫の上司や同僚、友人にわたしを紹介してくれようとしたときに

 

「僕の妻です」

 

 

と呼ばれることが長年のささやかな夢。

 

間違っても、夫に「嫁」などと呼ばれたくはない。「嫁」という単語を用いるときの関係性は、正しくは息子の妻に対して。わたしの夫(架空)の両親(架空)から「うちの嫁です」と紹介するぶんには正しい使い方である。

そもそも、夫が「うちの嫁」だの「嫁さん」というのは、なんだか馬鹿っぽく聞こえしまい不快で仕方がない。

 

嫁と呼ばれるよりは幾分かマシだが、「奥さん」と呼ばれたくはないかもしれない。奥さんという場合の相手との正しい関係性は、他人の妻に対して用いるものである。わたしは他人ではない。あ な た の 妻 な の よ!!という話なのである。

 

言葉は生もの。

意味も時代に合わせて変わる部分もある。だが、わたしは未来の夫からは妻と呼ばれたいし、わたしも「旦那さん」でも「主人」でもなく、夫と呼びたい。

 

 

という願望の他に(まだあるんかい)。

 

 

たとえば、夫(架空)と旅館やちょっといいところで食事をしたときのこと。

 

そのときに

 

 

「奥様」「お連れ様」

 

 

 

そう呼ばれたい願望がある。

 

 

このときの奥様は、大歓迎である。

 

 

 

さて、そんな話を職場でしていたときからあまり時は経たずに、思わぬところでその言葉を言われた。

 

 

恋人とわたしはラーメンが好きで、週に一度はラーメンを食べに行く。わたしはその日、彼の行きつけのラーメン屋さんへ連れて行ってもらった。入國地方では、そこそこの有名店でありラーメン通なら必ず知っている店のひとつに入る。

 

恋人が、替え玉を注文する。

 

 

わりと少食な恋人。珍しいな、と思いながら、わたしはスープをすする。

 

 

すると店員がわたしに声をかけた。

 

 

「お連れ様は?」

 

 

 

 

思わぬところで、お連れ様と呼ばれたわたし。

 

 

念願のお連れ様。

 

 

 

でも、違うの。

 

わたしの言われたかったお連れ様は、ちょっといいとこのお店や旅館で、お連れ様もどうぞこちらへ的に言われたかったの。

 

 

替え玉、お連れ様も注文どうですか?のお連れ様じゃないの。

 

 

替え玉頼みたそうに見えたの?

ねえ、見えたの??

 

 

お連れ様のそうじゃない感をひた隠しにしながら、わたしはスープのほとんどを飲み干した。

 

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。

 

ごきげんよう

 

入國 七帆子

自信のハードル

第一条


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第一条二項


書き手は、読者の笑いと精神の安定に寄与するため、常に自分の精神をごきげんに保つよう努めなければならない。

 

 

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こんばんは。

入國 七帆子でございます。

 

 

自分を信じると書いて「自信」という言葉ができあがる。わたしは、なかなかこの自信というものの持ち方が、未だによくわからない。

 

一応、そこそこ難易度のある国家資格の試験に通ったものの、どれも一発合格なわけでも高得点で合格したわけではない。

試験が終わってからというもの、事務指定講習で全科目の講義を受けた以外は労働法の勉強も社会保険の勉強もできていない。労働関係には携わっているため、法改正やある特定の法律には詳しくはなってきたが、社会保険は忘却の彼方である。

 

ピアノは8年習っていた。

ただ、物凄く弾けるわけではない。弾けると呼ばれる人はごまんと存在する。

 

料理は、生きていくことに事欠かないレベルで、そこまで得意ではない。ひとり暮らし当初、水だしで出汁をとっていたが、今はなかなかできずにいるし(苦笑)。

 

ブラインドタッチができ、タイピングも速いとよく言われるけれど、わたしより速い人はごまんといる。

 

 

と、いったように。

おそらくわたしは、上ばかりを見てしまい、自分の能力を過小評価する傾向にあるのだろうと思う。

 

 

ただ、考えても見て欲しい。

たとえば、わたしレベルで「料理が好き」というとする。

アメブロや何かしらのお料理ブログ、Instagramなど色鮮やかで明らかに美味しそうでセンスのある盛り付けの料理や常備菜の写真が溢れている。彼彼女たちは、素人である。素人でさえもそのレベルなのである。

 

わたしも、お弁当は週に何度か作るし自炊もするが、好きのレベルの高さに、わたしは勝てるはずもないと思い、好き公言する資格すらないのだと萎縮してしまう。

もはや、インスタ映えではなく、インスタ蝿を狙った方が早いだろうと目標を下げたくなるくらい。

 

 

そんな風に、ここ最近も自信のない自分の自信のつけ方について悩むことがあった。

 

 

そんなときに、ふと思い出したことがある。

 

かなり昔の話。

10年近く前の話になるのだけれど、わたしはアート関連のイベントやショップに足を運んだ時期があった。そこで知り合ったバブル世代のお姉さんがいて、数ヶ月に一度お茶をするくらいの仲だった。

 

彼女は、イギリスへの留学経験があった。

 

その彼女からの言葉が衝撃だった。

 

留学先で知り合った外国の方は、何ヶ国語も話せるらしい。

 

わたしが何ヶ国語も話せると聞くと、日常会話レベルに話すことができる言語が何ヶ国かあるのかなと思うし、わたしが聞かれればそう認識しているので、日本語しか話せないと答える。英語に関しては、日常会話(幼稚園)レベルのため、a little.と人によっては答えるかもしれない。

 

その外国人いわく

 

「たとえば、おはようって英語で言えたら英語を話せることになるし、おはようってタイ語で言えたらタイ語も話せることになる」

 

 

らしい。

 

 

 

なんて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

できるハードルの低いこと。

 

 

 

 

 

 

 

と、驚きを隠せなかったわたしなのだけれど。

それは言い過ぎかもしれないが、もしかしたらわたしの自信も、少しくらい持ってもバチは当たらないのかもしれないなと思い出した話に頷いた。

 

 

大切な人を傷つけないために、自己肯定感が必要であるなら、自信のハードルをぐいっと下げるくらいいいのかなと思えるようになった。

 

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。

 

 

ごきげんよう

 

 

入國 七帆子 

 

 

親心の記録

第一条


このブログは、読者のスキマ時間により生じた暇、手持ち無沙汰又は怠惰による喪失感等に対して、当該読者の余暇の教養と退屈を和らげるためにブログという媒体を通してユーモアを提供することにより、大胆かつ繊細に読者の笑いと精神の安定の向上に寄与することを目的とする。

 

 

第一条二項


書き手は、読者の笑いと精神の安定に寄与するため、常に自分の精神をごきげんに保つよう努めなければならない。

 

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こんばんは。

入國 七帆子でございます。

 

わたしはまだ、社会保険労務士として社労士会に登録していないため、社労士会の勉強会には参加できない。

しかし、社労士会以外の勉強会には時たま参加している。

 

このあいだ参加した勉強会は、とても興味深かった。

 

障害を抱えた子がいるご家庭が直面する社会的立場や親なきあとの悩みなどをご自身の立場からお話を聞いた。

 

障害と一言に言っても、様々である。

身体障害者なのか、知的障害者なのか、それとも、精神障害者なのか。

重度かそれ以外かにも違いがあるし、昨今発達障害という言葉も耳にするようになったけれど、発達障害にも多くの種類がある。また、先天的な障害なのか、交通事故など後天的に生じたものなのかなど、本当に様々な障害がある。

様々な障害があるということは、障害の数だけ悩みもあるといえると思う。

 

社労士の卵として関わりのあるのは年金。

年金には、障害年金がある。

障害基礎年金であれば1級か2級があり、障害厚生年金であれば3級までとなる。

障害基礎年金の2級であれば、保険料をきちんと払った人がもらえる満額の老齢基礎年金と同額の国民年金がもらえ、1級であればその額の1.25倍が支給される。

障害厚生年金の話はここでは煩雑となるため割愛するが、3級だと配偶者がいても加算がつかないというところが特徴であるということだけに留めておく。

 

障害者手帳の等級とは異なる認定基準となるため、障害者手帳で2級に該当するからといって障害基礎年金2級の支給が約束されているわけではない。

障害基礎年金2級以上に該当するというということは、かなり重い障害となるため、グレーゾーンにいる方なら、もらえない可能性もある。そうなると、国からの手厚い保障からこぼれ落ちることも充分ありえる。

 

社会保障を受けられる人。

受けられない人。

という障害者の親同士の悩みの違いもあると聞いた。

 

また、社会保障が手厚いほどの障害ということは、親なきあとのその子の人生をどうしてあげられるのかという悩みも尽きないと言っていた。

 

財産をどう残してあげるべきか。

親なきあとというのは、決して親の死亡だけを指すのではなくて、親自身が病気になってしまったり障害を抱えたときのことも含める。

 

障害の程度にもよるが、つけなくても良いのに後見人がついてしまい、月2~3万ほどの費用を後見人に支払うケースもあるという。

法定後見人がついてしまうと、外すことはできない。

 

子どものためを思って、子ども名義の財産を多く残してしまうと、後見人がついた場合財産管理として自由に使えなくなってしまうこともあるのだという。

そのため、親が遺言として財産の管理について残しておくなど、財産に関して綺麗に精算しておけば、無駄な費用をなくすことにも繋がるとおっしゃっていた。

 

また、周囲の人の助けにもなるという。

たとえば、障害を抱えた子に健常者の兄弟がいたとする。親が事前に財産のこと、障害をかかえた子のその後について決めておけば、兄弟を含む周りの人たちの決める負担の軽減にもなる。

 

 

わたしは、先天的に障害を抱えることはないけれど、いつ自分が障害を抱えるかわからない。それはわたしだけでなく、皆そうである。

突然車が突っ込んできて、体の一部がなくなるかもしれない。頭を打って半身不随になるかもしれない。もしかしたら、脳梗塞の後遺症で障害を抱えるかもしれない。

うつ病に罹患するかもしれない。内臓疾患により、人工肛門をつけての生活を余儀なくされるかもしれない。

わたし自身でなくても、恋人や親兄弟がなる可能性だってある。わたしの子どもが障害を持って生まれてくるかもしれない。

今の生活が、いつ一変するかなんて誰にもわからない。

いつ、自分が障害を抱える側に立つかわからない。自分は抱える側になるはずがないと思うのは、傲慢でしかない。

 

障害の程度や家族構成、住んでいる地域により適した情報は異なる。とにかく、まずは行政や専門家からの情報を入手し、備えていくことが何よりも大切だとおっしゃっていた。

わたしも、社会保険労務士試験に合格し、曲がりなりにも労務管理社会保険の専門家のたまごになろうとしている。

 

日々、自己研鑽。

恋人も今資格試験の勉強に向けてスイッチが入っているため、わたしも自分の勉強をきちんとしていこうと思います。

 

 

最後に、障害者基本法第一条を載せたいと思う。

 

第一条 この法律は、全ての国民が、障害の有無にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのつとり、全ての国民が、障害の有無によつて分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現するため、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策に関し、基本原則を定め、及び国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策の基本となる事項を定めること等により、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策を総合的かつ計画的に推進することを目的とする。

 

 

障害がある人をある場所にかためる社会は、共生といえるのだろうか。

この条文を目にする度に思う。

 

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。

 

ごきげんよう

 

 

入國 七帆子

 

 

 

気になることとあれこれ

第一条


このブログは、読者のスキマ時間により生じた暇、手持ち無沙汰又は怠惰による喪失感等に対して、当該読者の余暇の教養と退屈を和らげるためにブログという媒体を通してユーモアを提供することにより、大胆かつ繊細に読者の笑いと精神の安定の向上に寄与することを目的とする。

 

 

第一条二項


書き手は、読者の笑いと精神の安定に寄与するため、常に自分の精神をごきげんに保つよう努めなければならない。

 

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こんばんは。

入國 七帆子でございます。

毎日更新する予定だったのが、結局飛び飛びとなっております。

 

プライベートで忙しいのもあるのだけれど、法律の改正と連動していろいろ変わる我が職場のやんごとなき事情により多忙のため、なかなかブログを書こうというところまで意欲がたどり着かずにいる日々。

そんなことではいけない。反省。

 

 

気になることの一つに、最低賃金のアップ。ほとんどの都道府県で、10月1日より最低賃金がアップされた。最低賃金が改定されたにもかかわらず、その賃金より下回った時給で働いている場合は最低賃金法違反の対象となる。

 

大規模展開しているチェーン店は、改正された最低賃金での募集を行っていたのを確認した。しかし、小さい店では、従前の最低賃金のままアルバイトの募集をしていた。職業柄とても気になるものの、応募すらする気のない通りすがりのおばさんが、10月1日から最低賃金が改定されていますので、このままだと最低賃金法違反となりますよ、四条違反で50万円以下の罰金ですよ、とのたまうものなら不審者きわまりないので警察に突き出されるかもしれない。が、突き出されたところで、正当性はあらかたあると思うのだが。

 

とにかく、現行の最低賃金を割っている事業所の求人が気になって仕方がない10月を送っている。

 

今年度は、松重豊さんがポスターに起用されていた。わたしは、2年前のエンケンさんがいちばん好きなのは、蛇足。

 

 

 

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恋人と付き合ってもうすぐ1ヶ月。

 

平日に1~2日会い、週末もどちらかの家でお泊まりという頻度で会っていた。

 

わたしにとっては、もちろん恋人が大好きなので会いたいのもあったのだが、毎月下旬に社労士の勉強会が重なる。だから、会えるときに会えたらなと思っていた。

わたしはそう思っていたのだが、恋人の中では「依存している」と感じたようだった。

 

そこで、そうじゃないよ、勉強会が下旬にあるから会えるときに会いたいと思ったの、とかわいく言えたらよかったのだと思う。

しかし、わたし自身、依存していた過去も重すぎた過去も、テポドン並の攻撃力で攻撃した過去がある。ついつい、ムキになってしまった。

 

また、わたしは人との距離感がよくわからない。どれくらいが近づき過ぎなのかよくわからないから、とりあえず最初はかなり遠くにいる。ATフィールドを張っているつもりはないのだが、人からはATフィールドを張っているように思われるほど。

ただ、親しくなればひょこひょこと近寄る。

でも、どこまで近づけばいいのか、わたしはよく分かっていない。人間関係を万年こじらせ、また友人は少数なので、人との距離感というものが本当にわからない。

 

そのことがきっかけで、恋人とどの距離感が適切なのかわからなくなってしまった。

「依存」という言葉に過剰反応するわたしは、それだけは言われたくなかった言葉のひとつだった。細心の注意を払っているつもりだったが、発せられてしまった。

 

そう言われないためにはどうすべきかということに囚われてしまっている今。

 

 

ゼロか百かしかない思考回路。

 

 

心の距離感が、わたしにはわからなくなってしまった。

近づきすれば依存になる。

遠ざけた方がいいのだろうか。

いっそのこと、止めてしまえばいいのかと思うほど極端な思考へ陥ってしまうのだが、それほどわたしは、依存という言葉への極度の恐れのようなものを抱いている。

 

言われたくなかった一言。

言われないためには、どうすればいいのか。

どうすれば、よかったのだろう。

 

 

ここまで読んで下さりありがとうございます。

 

 

ごきげんよう

 

 

入國 七帆子