自信のハードル
第一条
このブログは、読者のスキマ時間により生じた暇、手持ち無沙汰又は怠惰による喪失感等に対して、当該読者の余暇の教養と退屈を和らげるためにブログという媒体を通してユーモアを提供することにより、大胆かつ繊細に読者の笑いと精神の安定の向上に寄与することを目的とする。
第一条二項
書き手は、読者の笑いと精神の安定に寄与するため、常に自分の精神をごきげんに保つよう努めなければならない。
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こんばんは。
入國 七帆子でございます。
自分を信じると書いて「自信」という言葉ができあがる。わたしは、なかなかこの自信というものの持ち方が、未だによくわからない。
一応、そこそこ難易度のある国家資格の試験に通ったものの、どれも一発合格なわけでも高得点で合格したわけではない。
試験が終わってからというもの、事務指定講習で全科目の講義を受けた以外は労働法の勉強も社会保険の勉強もできていない。労働関係には携わっているため、法改正やある特定の法律には詳しくはなってきたが、社会保険は忘却の彼方である。
ピアノは8年習っていた。
ただ、物凄く弾けるわけではない。弾けると呼ばれる人はごまんと存在する。
料理は、生きていくことに事欠かないレベルで、そこまで得意ではない。ひとり暮らし当初、水だしで出汁をとっていたが、今はなかなかできずにいるし(苦笑)。
ブラインドタッチができ、タイピングも速いとよく言われるけれど、わたしより速い人はごまんといる。
と、いったように。
おそらくわたしは、上ばかりを見てしまい、自分の能力を過小評価する傾向にあるのだろうと思う。
ただ、考えても見て欲しい。
たとえば、わたしレベルで「料理が好き」というとする。
アメブロや何かしらのお料理ブログ、Instagramなど色鮮やかで明らかに美味しそうでセンスのある盛り付けの料理や常備菜の写真が溢れている。彼彼女たちは、素人である。素人でさえもそのレベルなのである。
わたしも、お弁当は週に何度か作るし自炊もするが、好きのレベルの高さに、わたしは勝てるはずもないと思い、好き公言する資格すらないのだと萎縮してしまう。
もはや、インスタ映えではなく、インスタ蝿を狙った方が早いだろうと目標を下げたくなるくらい。
そんな風に、ここ最近も自信のない自分の自信のつけ方について悩むことがあった。
そんなときに、ふと思い出したことがある。
かなり昔の話。
10年近く前の話になるのだけれど、わたしはアート関連のイベントやショップに足を運んだ時期があった。そこで知り合ったバブル世代のお姉さんがいて、数ヶ月に一度お茶をするくらいの仲だった。
彼女は、イギリスへの留学経験があった。
その彼女からの言葉が衝撃だった。
留学先で知り合った外国の方は、何ヶ国語も話せるらしい。
わたしが何ヶ国語も話せると聞くと、日常会話レベルに話すことができる言語が何ヶ国かあるのかなと思うし、わたしが聞かれればそう認識しているので、日本語しか話せないと答える。英語に関しては、日常会話(幼稚園)レベルのため、a little.と人によっては答えるかもしれない。
その外国人いわく
「たとえば、おはようって英語で言えたら英語を話せることになるし、おはようってタイ語で言えたらタイ語も話せることになる」
らしい。
なんて
できるハードルの低いこと。
と、驚きを隠せなかったわたしなのだけれど。
それは言い過ぎかもしれないが、もしかしたらわたしの自信も、少しくらい持ってもバチは当たらないのかもしれないなと思い出した話に頷いた。
大切な人を傷つけないために、自己肯定感が必要であるなら、自信のハードルをぐいっと下げるくらいいいのかなと思えるようになった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
入國 七帆子