『 立ち話もなんなので 』

少しだけ占いと労働相談ができる社労士のたまご。言葉と思考の森によく隠れてつぶやいています。

トイレと価値観

第一条

 


このブログは、読者のスキマ時間により生じた暇、手持ち無沙汰又は怠惰による喪失感等に対して、当該読者の余暇の教養と退屈を和らげるためにブログという媒体を通してユーモアを提供することにより、大胆かつ繊細に読者の笑いと精神の安定の向上に寄与することを目的とする。

 


 

 


第一条二項

 


書き手は、読者の笑いと精神の安定に寄与するため、常に自分の精神をごきげんに保つよう努めなければならない。

 

 

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こんばんは。

入國 七帆子でございます。

 

一応当方ブログは、言葉とほんの少しの星読み及び労働や社会保険を通して読者の身に生じたスキマ時間に、笑いやちょっとした豆知識など有益な時間に貢献できればと思っている。

けれども、昨日より精神的うんことか今日にいたってはトイレと価値観だとか、この書き手はどれだけ下の話が好きなんだと思われているかもしれない。

 

トイレというものは、我々の生活にとってはなくてはならないものであり、あまりにも身近なものである。また、物心がつく前からの習慣であるため、その行動のひとつひとつは無意識に行っているものも少なくない。

 

 

たとえば、わたしのトイレ習慣は、必ず流す時は蓋を閉めてから流している。そして、手を洗うときは石鹸を使い、2度ほど丁寧に洗う。そして外出先であれば、必ず持っているハンカチで手の水滴を拭う。

 

こういう習慣なのだが、洋式のトイレに入ったときに、蓋が開いているとそれだけでその個室から逃げ出したくなってしまう。蓋が開いたまま勢いよく水が流されたとき、見えない細菌が小さなスペースに撒き散らされているように思えてしまう。もやしもんのような能力が備わっていなくて、その点は親に感謝している。

最近公共のトイレでは、蓋すらついていない。しかも、自動で水を流すという勝手なお世話な機能もついている。こちらがその個室から逃げ出す隙を与えないほどの速さで、トイレ内の細菌を撒き散らしていく……。

 

と、思ってしまうものだから、用を足したあとは必ず蓋をしてから流して欲しい派であることは、お分かりいただけたと思う。

 

 

…とごちゃごちゃ書いたが、どんなに話が合っても汚いお手洗いの使い方を見たら、千年万年の恋も冷めるし、そんなにばっちり話が合わなくても、お手洗いの使い方があっていればわたしはそれだけで好感度が急上昇してしまうという話。

 

職場も、お手洗いが汚いところはあまり続かなかった気がする。

石鹸のないお手洗いは、アウトだわ。

 

ごきげんよう

 

 

入國 七帆子