『 立ち話もなんなので 』

少しだけ占いと労働相談ができる社労士のたまご。言葉と思考の森によく隠れてつぶやいています。

ヒトリノショウガツ

第一条


このブログは、読者のスキマ時間により生じた暇、手持ち無沙汰又は怠惰による喪失感等に対して、当該読者の余暇の教養と退屈を和らげるためにブログという媒体を通してユーモアを提供することにより、大胆かつ繊細に読者の笑いと精神の安定の向上に寄与することを目的とする。

 

第一条二項

 

書き手は、読者の笑いと精神の安定に寄与するため、常に自分の精神をごきげんに保つよう努めなければならない。

 

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こんばんは、入國七帆子でございます。

昨日までは、昨年から頼まれていたことをなんとか無事に完成しまして、依頼主にお届けするという業務ではないけれど趣味に興じていました。おせちを食べながらも、コーヒーと本を片手にパソコンでカタカタ文章を打つという、正月ともいえない、日常とも言い切れない一日だった。

 

実家には帰らないと決めていたため、年末年始はひとりで過ごしていたし、おせちもお雑煮も一人で食べていた。

 

一人暮らし経験は何度かあったものの、実家や誰とも言葉を交わさない年末年始というものを過ごしたのは今回がはじめてかもしれない。彼とは本日、2日ぶりに言葉を交わす予定なのだが、今年はじめて口を開くのも本日からとなる。だって、誰とも会わなかったんだもの。なお、独り言はカウントしない。

 

実家では、わたしも含めて母以外の家族が食べ物の好き嫌いが多かった。そのため、小さい頃からおせちらしいおせちを口にせず育った。家を出たときから年末年始どころかしばらく家族とは会わないつもりだったため、秋が始まる前に楽天市場でおせちを購入した。

 

おせちは、特別おいしいものではない。けれど季節の行事を通して自国の風習を感じる時間は、とても楽しい。

おせち料理は、本来は神様への供える料理としての意味なのだとか。大晦日のうちにすべて重箱に詰めて、年神様にお供えし、一年間良い年になりますようにという願いを込めるものなのだそう。そして、新年が明けてからそのお下がりを家族でいただく。

 

また、お料理それぞれに意味があるのも面白い。

 

黒豆は、まめまめしく働くことができるように、という意味なのかなと駄洒落のように考えていたのだけれど、Oisixおせち料理について書かれてあるサイトによると、「邪気祓いと黒く日焼けするほど勤勉に働けるように」という意味があるらしい。豆だからまめまめしく、だなんて発想のわたしがなんだかとてもアホみたいで恥ずかしくなった。

 

余談だけれど、今年の12月19日までは、成長と拡大の星である木星山羊座に位置している。山羊座のテーマは、まさに、この黒豆のように、地道に、コツコツと、勤勉を意味しているので、是非とも黒豆を盛り盛り食べて良い一年にしたいところである。

何をしても続かない!という人や、今年こそはやり遂げたい!という方は、力が高まっている山羊座の力に乗っかってみて過ごすのもよいかもしれない。

 

手綱こんにゃくの意味がとてもかっこよかった。

手綱を締めるのと同じように己の心を引き締め、自分自身を厳しく律し、来る戦いに備えて心を養うという意味があるらしい(どこで見かけたのか失念)。また、結ぶところから、良縁という意味もあるらしい。

 

おせちだけでなく、日常でも手綱こんにゃくを定期的に口にしたいと思う。

 

さて、きちんとしたおせちを口にしたのもほぼはじめてのわたしだったが、お雑煮を作るのもはじめてだった。実家で食べたお雑煮は覚えている。けれども、一度も作ったことがなかった。

お雑煮といっても、プロの料理のように仕上げる必要はないためさほど難しくはないと思うのだが、餅を煮るタイミングだったり入れていた具材の詳細は忘れてしまった。

 

実家にいたころ、家事を手伝ったことはほとんどなかった。というより、させてもらえなかったのが正しいかもしれない。手伝おうとしても、母にいい顔をあまりされなかった。子どもの頃の話である。最後の実家住まいのときも手伝おうとしたが、母と祖母の二大巨頭の前にわたしは入ることができなかった。

 

家族なのに、なんとなくだけれど、わたしと家族は家族になりきれていなかったのかなと思う。

 

その家ならではのルールが、母とわたしの間でぷつんと途絶えていたことに気づいた今年のお正月。

 

家族って、なんだったのかな。

と、自己流のお雑煮を口にし、3個のお餅を食べた。

センチメンタルと食い気は別物なのだろう。

 

ここまで読んで下さりありがとうございました。

 

ごきげんよう

 

入國 七帆子