『 立ち話もなんなので 』

少しだけ占いと労働相談ができる社労士のたまご。言葉と思考の森によく隠れてつぶやいています。

オトナとは

今週のお題「二十歳」

 

第一条


このブログは、読者のスキマ時間により生じた暇、手持ち無沙汰又は怠惰による喪失感等に対して、当該読者の余暇の教養と退屈を和らげるためにブログという媒体を通してユーモアを提供することにより、大胆かつ繊細に読者の笑いと精神の安定の向上に寄与することを目的とする。

 

第一条二項

 

書き手は、読者の笑いと精神の安定に寄与するため、常に自分の精神をごきげんに保つよう努めなければならない。

 

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こんばんは。

入國七帆子でございます。

 

20歳となり、成人となったからといっておめでとうございますということになんとなく違和感を覚えてしまうのだけれども。その違和感の原因を、まだ言語化するところまで探訪できていない。

 

大人って、そもそもなんなのだろうか。

 

わたし自身、思い描いた大人を生きている自覚はまったくない。けれども、周りの大人たちを見ていると、この人こそが大人の模範となる人ですと言えるべき人はそんなにいないということにも最近気づき始めている。

 

そもそも、大人とはなんなのだろうか。

 

大人という言葉に、聖人君子や超越した存在を勝手に付け加えてしまっているだけのように思えてならない。

 

大人とは、人間という一括りの一つの区分に過ぎないのだと思う。子どもであるか、大人であるか。幼児、少年、青年、中年、中高年等々、本来は年齢別の区分に過ぎないものに、いつの間にか妄想に近い想像を肉付けしてしまっただけのように思う。

 

 

と書いて終わるだけでは、ただの右斜め上から見たひねくれた30代となってしまうので、つらつらと文章を少しだけ書き散らしていこうと思う。

 

わたしは、子どもの頃から早く大人になりたかった。「子どもだから」というだけで、わたしの言葉が届かなかったことがずっともどかしかったからだった。同じことを言っているのに、わたしが発言すると誰の心にも届かないような気持ちに陥った10代。

だから、わたしはインターネットで発言することがフラストレーションの発散法となっていたのだと思う。インターネットという場は、わたしの容姿も年齢も性別もあまり関係がなく、フラットに見てもらえることが現実世界より多かったから。

 

成人式を終えてすぐ、わたしは20歳を迎えた。

 

20歳を一年、二年・・・五年を過ぎても、状況はあまり変わらなかった。わたしの言葉が誰の心にも届かないような虚しさは、子どもから大人へ区分変更されても、変わることはなかった。

 

わたしは、日本でしか仕事をしたことがないため比較することはできないが、社会人全体から見て20代は大人ではあるけれど、まだまだ若者扱いなのである。それに、やはり人によっては、同じ発言をしても、男性よりも女性の方が軽んじられる傾向にある。

 

 

何を言うかではない。

 

誰が言うか。

 

20代でようやく理解したことだった。

 

30代に入って数年経った今も、ずっとこの問いにどうすればわたし自身解決できるのだろうか考え続けている。

 

社会人の中でもまだ、若い方ではあるけれど、ある程度の社会経験のある若者という認識はしてもらえるようになった。20代よりは少しだけ、わたしの言葉に耳を傾けてくれる人もできた。また、社会保険労務士に合格したということで、曲がりなりにも労働法と社会保険には少しばかり詳しいかもしれないということで、より言葉は届くようになった。

 

年をとるだけで解決できることもあるかもしれない。

けれど、マイノリティをマイノリティのまま放っておくのは、どうしても負けず嫌いのわたしにはできない。

 

わたしが男性であれば、中年であれば、もっと多くの人が耳を傾けてくれるのだろうか。

 

いや、そうではないだろう。

 

どうすれば、何をいうかではなく、誰が言うかの特定の”誰か”になることができるのだろうか。考えて実践し続けてこそ、その年齢に達したときに一気に力を発揮することができる。

 

男性というマジョリティな存在はとても羨ましいけれど、ないならないで、対策していくしかないよな、とようやく思えた30代ライフを歩んでいる。

 

20代は、社会の歯車として生きていく準備期間のようなものだと思う。

 

 

まだまだ制限をかけず、自身の好奇心と探究心を存分にフル回転してこれからの10年を歩んでください。

 

 

ここまで読んで下さりありがとうございます。

 

ごきげんよう

 

 

入國 七帆子